「希望の扉は自働扉にしよう♪」中塚貴洋の日記

シンプルな経営戦略で岡山と東京の起業家を応援する中塚貴洋の徒然日記です

希望の扉は自分で開けっ(ある社長の死)

こんんちは、あなたの強みを活かした仕組みを構築し

岡山や東京での起業を応援する『ドリームゲート

アドバイザー中塚貴洋です。

 

希望の扉は自分で開けっ♪

には後に続く言葉があります。

 

「早くシステム化して扉を自働扉に変えろっ」

という言葉です。

 

ある優秀な建築会社の社長をかれこれ8年前に支援し

失敗した経験から、この言葉が後に付きました。

 

彼は50になったばかり、優秀でとても負けん気が強く

自信を持ち、優しく魅力的な建築会社の社長でした。

特殊な技術で、本業は順調。先代が軌道に乗る前の負債を抱えて

はいましたが返済も順調で、20歳近く若い奥さんを娶り順風

満帆でした。2代目社長でした。

 

そして、事務所の近隣に良い物件があり、某有名ホテルの

シェフも加わることになり、奥さんの夢だったレストランを開業した

のです。本当に順調でした。

 

それから3か月、連絡もなく、勝手に僕の方も順調なのだろう

と思っていましたが、体調を崩しているという連絡がしばらく

ぶりに奥さんから入りました。

 

僕「どうしたのですか、声が変ですが」

 

奥さん「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

かなり沈黙が続き

 

奥さん「もう手遅れな状況です」

   「勝手なもので、シェフは、従業員は退職するそうです。」

 

この時に、僕は気づきませんでした。

 

この病気が原因なのではなく、会社が倒産しかかっている状態

にあるものがなかったことに。

 

気づくには時間がかかりました。

 

彼の会社は法人でしたが、普通の会社で一般的な社長の技術や

キャラクターで受注する会社だったのです。

 

なんだそんなの中小企業なら当たり前じゃんという部分

かもしれません。

 

一般的だからこそ、実は危ないのです。

結果、倒産となりました。

 

奥さんは直に所在不明になり、連絡もつかなくなりました。

原因は多角化が一部ありましたが、借金でも技術不足でもありません。

借金などはあくまで問題を解決するための課題程度で、問題しかも本当

の問題、真因はそうではありませんでした。

 

だから、冒頭の言葉が続くことになります。